叶えたい未来にかまけて、日常を蔑ろにする怠慢
最近、私、妙に焦っていました。
(いや、今もまだ焦ってるかも。でも、少しずつ言葉にできてオーダーに変えている)
なかなか前に進めない、目の前に大きな岩があって、どこから削ったらいいのかわからない感覚。
削ろうと頑張るけれど、エネルギーだけ漏れてどんどん苦しくなっていく。
そんな状況が2月入ってからずっと続いていて、ほとほと疲れてしまっていたのですが、毎日の過ごし方がズレていたからっぽいというお話。
叶えたい未来にばかり意識を向けて、日常を疎かにしていないか。
叶えたい未来に意識を向けてみても、見えない岩が私の前に立ちふさがっている感じが抜けなくて、それを壊そうと躍起になっていたのですが、どうも動きが鈍くて、泣きそうに。
自己信頼感が急降下して、息苦しくなってしまっていました。
こんなに向き合っているのに。
自信に向けている問いかけの答えが見えない、それじゃ進めない。
壊したいものがあるはず、でもそれはどこからテコ入れをしたらいいのか。
答えが見えないことへの焦り。
やるべきことがあるけど、手を付ける場所がわからないことへの不安。
“壊す”に躍起になって、”ヒントが見えるまで、待つ”という選択を取れないでいないか。
待つことを選ぶと何がまずいのか。選べないでいるのはなぜか。
自分への信頼感の低下、答えが見えない自分へのダメ出し。
それらにほとほと疲れたあと、「答えが見えないのが今のベストだったとしたら?」と考えてみると…
未来にばかりかまけて、目の前に広がる日常に手をかけることをしない怠慢さが露呈しました。
日常への敬意を持つ。
・最近、ちゃんと食事内容に意識を向けているか?
(おやつの消費量が急激に増えたし、食べても食べても満たされない)
・睡眠への意識は?
(早寝早起きが向いているのに、日付が変わってからも意味もなく起きていて、次の日遅くまで寝ている、毎日身体が重い)
日常の満足度は担保されているか?
上げるためにできることをやっているか?
全部自信をもってYesと言えないんじゃないか…?
人生にそうない一大イベントが欲しい気持ちでいっぱいになって、今与えられている日常をないがしろにしていたら、苦しいのも当たり前じゃないか。
目の前に差し出されている今に敬意を払わないで、まだない未来を「欲しい」と叫び続ける。
それをお知らせしてくれたのが、ネガティブな感情でした。
未来と今への心配りのバランスをとる。
もちろん未来に意識を向ける時間も大事ですし、楽しいんです。
欲しいものを描いて、それが手に入ると思えれば、高揚感も強くなります。
でも、それと同じくらい、なんてことない今にも目をかけてあげることが大切で。
見えない岩を壊そうと戦い負け続けているのであれば、岩が溶けてなくなるなり、壊すのに適している道具が見つかるなりするまで、今の私に栄養を注いであげることを選んであげたい。
必要なときにすぐに動き出せる体力・気力を蓄えてあげたい。
そのために、なんてことない日常に彩りを添える過ごし方を意識してみようと思うという今日この頃でした。