Ayaka の独り言
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ただ、幸せになりたかっただけなのに

ayaka
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何で笑えなくなっちゃったの?
自分の幸せが見えなくなっちゃったの?
人の幸せが憎たらしくなっちゃったの?

私は、何がしたいの?

「ただ、幸せになりたい」が「必要とされなければ」にすり替わる癖

最近内観している中で、幸せになりたいから彼と一緒にいたいと願って、お付き合いできるようになったのに、気づけば彼の機嫌ばかりを気にして、自分がいなくなっていたときのことをふと思い出しました。

状況説明が、めちゃ長w

最初は「彼、大好き!楽しいから一緒にいたい!」と思っていた。
純度100%で彼にぞっこんだった。そういう私を、彼は可愛いと言ってくれていた。

それがいつしか「彼のお役に立たねば、必要とされなければ」という意識にすり替わっていたんです。
彼に尽くして、彼が喜ぶように行動して、彼に時間を合わせて、彼・彼・彼!

で、何が起こったかって…

お別れ

ですよ。
彼と一緒にいたいから頑張ったのに!

「ただ、幸せになりたい」って思って動いているときはうまくいくのに、なぜわざわざ「必要とされないといけない」に切り替わるのか?

この癖ってどこから来たものなんだろうって過去を探りに行ったところ、母、叔母との関係性に辿り着きました。

「必要とされること」は私の生存戦略だった

タイトルそのまんまなんですけどね。
「一緒にいる人に必要とされること」が欠けると、生きていけなかったんです。

この「一緒にいる人」に当てはまるのが、母であったり、叔母であったりしたのですが。

未成年のときって、大人にある程度守ってもらわないと生きていけないじゃないですか。(保護者って言うくらいだからな)

んで、ただただそこに存在しているだけで守ってもらえる、支えてもらえるっていうのが理想かもですが、未成年だった私は「その人のお役に立つこと」と私が生きるために色々してもらえることが引き換えになっていたんです。

母は病気がちだったのと、父が他界して女手一人で私を育てなければいけなくなったので、「この人を支えないと、この人に必要とされることをしないと、私は生きていけない。生きていくためには、母に尽くさなければいけない」って思いました。

で、母を19で亡くして、叔母の家に引き取られたときも、「居候たるもの、この人に迷惑をかけちゃいけない、必要とされないと追い出されるかもしれない、役に立たなければ、言うことを聞かなければ」って思っていました。

幸せになるための必須条件は、生きていること

幸せになるには、とりあえず生きていないとできないじゃないですか。
だから、学生だった私は、生きるためにやらなきゃいけないことはこなさないといけなかっただけ。

それが、もう大人になって誰かに守ってもらうとか保護者になってもらうとかしなくても、ある程度自分で自分を守れるようになって、生かしてあげられるようになったのに…

まだ、その生存戦略の名残が続いていたってわけです。

もうそれ、いらないよって。

誰かの役に立たないと愛されない、幸せになっちゃいけないなんて、もう終わりにしてよくて、「大好きだから、あなたと一緒にいたいから」という気持ち1本で、幸せを掴みに行っていいんだよと思えたのでした。

大人同士の恋愛・結婚って、自立の下で成り立っている

大人の恋愛・結婚って、最低限自分の生きる保障はできる同士で行うと思うんです。
もちろん病気や出産その他諸々で、少しばかり相手に面倒を見てもらわないといけないときがあるかもしれないけど、それって長い人生の一部でしかないでしょう。

それすらもサポートしてくれないなら、さすがにその男性は願い下げでは?

「私一人でもある程度生きることができるけど、あなたが大好きだから、一緒にいたいと思うんだ」という軸をお互いに持って恋愛・結婚ができたら、すごく幸せだと思うので、それを手に入れようと決めたのでした。

ABOUT ME
小原彩夏
小原彩夏
ライター・セラピスト
1度破局した彼との復縁を叶えるために心の世界に入る。双極性障害・パニック障害などの精神疾患や両親との死別などの経験から、心身ともに充実させながら願いを叶えていく人のサポートをしたいと思うようになり、約7年前にセラピストを志す。自身の復縁経験を活かし、復縁を超えて愛される人を増やすべく活動を続けている。
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