そろそろやみくもなジプシー、やめない?
ある時からやみくもに知識を入れるのをやめました。
それはなぜかというと、「もっと知識を入れなきゃいけない、もっと新しいことがあるんじゃないか」と思うことそのものが、スピーカーの声だと気づいたからです。
世間の声や周りの人の言葉を取り入れて、自ら創り出した人工的な声
≪特徴≫
焦り、恐怖、罪悪感、不安感を抱かせる
なぜ新しい知識を追い続けるのか
私は元々勉強が結構好きで、何か新しいことを覚えたり、新しい情報を手に入れたりすることが好きでした。
(なので、生涯自己研鑽が必要と言われる薬剤師のお仕事は、ある意味天職ではありました。他の理由で続けられないと判断しましたが)
それが願いを叶えるという趣旨で新しい情報を入れ続けたら、どんどん現実がこじれていきました。
あのメソッドでは○○と言っていたのに、別のメソッドでは真反対のことを言っている。
どちらを信じたらいいかわからない。
何の情報も入れなかった時の方がうまくいっていたように感じる。
そんなジレンマと戦っていた数年間。
苦しかったのに、なぜ新しい知識を入れることをやめられなかったのか。
新しい情報を入れ続けなければ置いていかれる。
願いを叶えるチャンスを失うのではないか。
そんな恐怖から来ていたのです。
知識を知恵に変えていく段階にいる人の方が多くない?
今ある知識をブラッシュアップして、自分の体験に落とし込んで、知恵に変換していくと決めて動くようになってから、現実は好転し始めました。
≪知識≫
ある物事について知っていること。また、その内容。
誰もが事実として共有できるもの。
≪知恵≫
物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。
知識や経験を、必要な場面に応じて活用できる力。
よくインプットとアウトプットはバランスよく、と言いますが、知識をつけるのがインプット、知識を知恵に変えていくのがアウトプットと言えるかもしれません。
セッションをさせていただいている中で、もう十分知識は持っているのに、うまく使いこなせずに知恵に変えられないでいる、そして、現実を変えられないでいる方がすごく多いと感じています。
現実を変える人は知識を知恵に変えることができている人。
現実が変わらないでジプシーをしている人は、知識だけたくさん持っている人。
新しい情報に飛びつく前に、今までの知識を整理して使いこなして、知恵に変換していきませんか?
個人セッションでは、今までの知識をあなただけの知恵に変換するコツをお伝えしています。
だから、セッション後に現実が動くのです。
知識を誰から入れるかを心に従ってちゃんと選ぶ。
知識が持っていないことで、ショートカットできることが遠回りになってしまうことはあります。
(数学で公式があるのにそれを知らずに、1から答えまで導き出そうとするときとか)
では、必要な知識をどうやって選んでいくのか。
それは自分の心を主軸にしていくことだと思っています。
役に立ちそうだから、モヤモヤするけど採用する。
皆がやっているから、心がざわざわするのに取り入れる。
心が快の方向に反応していないのに、「役に立ちそうだから、皆がやっているから」で選ぶと、たいてい拗れます。
なぜなら「役に立ちそうだから、皆がやっているから」もスピーカーの声だから。
心がときめく、安心する、元気になる、勇気が湧く…そういった情報にどれだけ触れているか?そこからの情報に集中しているか?
取捨選択が大切です。