私はなぜ今日も本を読むのか
大好きだった読書から遠のいていた時期もあったけれど、今は1日で2~3冊の本を読むことが増えた。
(もちろん毎日ではないけれど)
小説ももちろん好きなんだけれど、どちらかと言うとエッセイだったり実用書だったりが多いかもしれない。
願いを叶える方法とか自分と向き合う術とか、もう十分すぎるほど学んだし、それらは自分の中である程度確立されている気がしたので、「そういう本はもういらないんじゃないの?」と思っていたけれど、やっぱり心惹かれて買ってしまうし、気が向いたときに読み始める。
「まだ足りないと思っているのか?」と考えてみても、それは否。
では、私はなぜ今日も本を読むのか?
本を読むことが、自分と向き合うガイドになっている
突然だが、私は自己対話が好きだ。
時に落ち込みながらも、根気よく自分の心と向き合うのが好きだ。
それを繰り返していくと、不思議と世界への信頼感が上がって、生きやすくなる気がする。
ただ、私は自分と向き合うのがすごく上手なわけではなくて、湧き出る疑問にすぐに答えを見出すのは得意ではない。
答えが出ないモヤモヤを抱えながらうんうん唸り、それでも見つからないときは心が動く本を読むことが多い。
最初は「このモヤモヤを解消できる言葉や方法は何かないか」という視点に立って読み始めるのだけれど、本の著者の考えに触れているうちに「私ならこの場合、何を考える?」と疑問が湧いて、本を放り投げて自己対話を始めることがとても多い。
本にダイレクトで欲しい言葉が書いてあることももちろんあるけれど、それよりも本の内容がトリガーになって自分と対話することで、心の中から答えを見つけていることが多い自分に気がついた。
私は本に方法論や心を軽くする言葉を求めているわけではなくて、自分の中から答えを見つけるガイドをしてもらっているんだ。
それは自己対話を繰り返せば、読む本の量も増えて当たり前だ。
自己対話のガイドになるような本を書けたらいいな
本を読む理由を言語化できたのは昨日なので、できたてほやほやだ。
数ヶ月たくさんの本を読みながら「なぜ本を読むのか」と自分に問い続けてきたので、答えが見えてとてもすっきりした。
それと同時に自分の夢も言語化できたので、シェアをしたい。
元々、「いつか本を書けたらいいな」なんて夢見ていたのだけど、「どんな本を書きたいのか」までは言語化できていなかった。
それが昨日見えたのだ。
私は、自分と向き合うときのガイドになるような本を書きたい。
願いを叶えながら人生の満足度を上げていくには、「私」を知ることは必要不可欠だ。
でも、私と同じように自己対話があまり得意ではない人もいると思う。
そういった人に「この本を読むと、自分を知る作業がはかどる」と思ってもらえると嬉しい。
たくさんの本にガイドされてきた私が、いつかその役割を担えたら嬉しいと思う。
さて、今日はどんな本を読もうかな。