絶望と共に、もう死ぬつもりで生きてみた。
死んでしまいたかった。
頭の中で「お前はダメだ、お前はダメだ、死んでしまえばいい」とリフレインした。
たった一言がきっかけだった。
そこから私がどんどん崩れていった。
どうにか立て直さなければ、立て直さなければ。
必死に自分の内面と向き合っていたけれど…
その限界が来たのが、半年後だった。
1人になった。
私はかつての仲間から離れることになった。
私が未熟だったから。
とある心が揺さぶられる出来事がきっかけで、不安定になった内面を立て直せなかった私が悪かった。
焦燥感から動いて、もっと現実が悪化した。
迷惑をかける人がもっと増えた。
孤独感。
ずっと恐れていたものが目の前に来て、心がぽきんと折れた。
毎日、四方八方から聞こえる非難の声で頭がいっぱいになって、そのたびに自分を責めた。
朝起きては泣いて、少し落ち着いたらまた泣いて。
食事が喉を通らない。頭が痛い。
あぁ、もう死にたい。
生きていたって何もいいことがない。
頭の中にリフレインする非難の声は幻想。
そんなことは考えたくないって思いながらも、気づけば非難の声が頭をよぎり、そのたびに吐いて、苦しくて。
そのたびに深呼吸を何度も繰り返して、少し浮上して。
それを繰り返していたら、気づいた。
この非難の声は、今生まれたものじゃない。
昔からついている外付けスピーカーからの声みたいな感じがする。
本来の私の頭が役割を担えずにいて、外付けスピーカーで嫌な言葉が延々と吹き込まれている感じ。
本来の頭の役割は、心が望んだことを許容すること、必要な情報を見えない世界からキャッチしてくること。
決して、心が悲鳴を上げるほど痛めつける役割なんて担っていないはず。
外付けスピーカーが影響していたのだとしたら…
取り外してしまえば、静寂の中から聞こえる心の声に集中できるようになるのでは。
もう早く死にたいし、死んだも同然だから、この肉体を使って実験しよう。
どうやったら、非難するスピーカーを卒業できるのか。
外付けスピーカーが生まれたのはなぜ?
外付けスピーカーの録音先って誰なんだろうと考えた。
これは間違いなく、スタートは私の母だ。
なぜなら今回「お金が稼げなくなるなんてダメだ、お金のためにはいろいろなことを我慢しろ」という声が強かったから。
私にお金の洗脳をし続けていたのは、母だった。
(もちろんスピーカーから流れる言葉は他にもあるが、誰の声を主に録音したのかを見分けるのに、お金に着目するとすごく便利だったから見た)
では、なぜ外付けスピーカーが生まれたのか。
それは、母がいなくても母の言ったことを忘れないように、心に刻むためだった。
もしかすると、自分の人生の責任を全部取る、と決めきれていなかったのかもしれない。
外付けスピーカーを持つことで「だってお母さんが言ってたからその通りにしておけばいいんでしょ」って無意識で思えていたから。
その代わり、その声に外れることをしようとすると、スピーカーの音量がぐんと上がる。
「外付けスピーカーを外すと、全部全部自分で責任を取ることになるよ」「私に従っておきなさい、失敗しないから」とスピーカーから聞こえたけれど、もう外すことを決めた。
別に母の声だけじゃない。
世間の声も、友人の声も、親戚の声も、それこそ、かつて仲間だった人の声も。
何気ない自分にかけられた、好ましくない言葉を録音して、何度も繰り返し聴いていた。
聞こえ続ける声を無視して、心身を休める。
努力していないと、忘れられるぞ。
ただでさえ信用を失ったんだから、さっさと動けよ。
迷惑かけて、ダメなやつだな。
誰もお前のことなんて見てやしないよ。
こういう声がスピーカーから聞こえるたびに、無視を決め込んだ。
その声はダミーだ。
私の頭の声じゃなくて、半年前からどんどん強くなっていたスピーカーからの音だ。
うっかりそれに従って動いて、散々痛い目見て、今すごい絶望を感じているだろう。
だから、従って動かないとだけ決めて、聞こえなくなるまでこらえる。
この時期がすごくきつかった。
その声が幻想だとわかってからも、気づいたら乗っ取られていて、やっぱり落ち込むし、涙は出るし、死にたくなった。
でも、どうせ死ぬなら、肉体を使い切って死にたい。
だから、耐えた。
気が紛れるように、ご飯ひと口を何分もかけて食べたり、お風呂にゆっくり入ったり、好きなVtuberの配信を見たり…きつすぎたら、彼に頼って慰めてもらった。
そう、私を支えてくれたのは、彼とクライアントさまだった。
本当にありがたくて、毎日感謝で泣いた。
特に、彼とは心の距離が縮まった。
彼に愛されてきたことを実感して、むせび泣いた。
現実が悪化する時、このスピーカーが悪さしてたことに気づく。
このスピーカーは結構厄介で、今まで何度も繰り返し私の現実に影響を及ぼしてきたことに気づいた。
目上の人を神格化する癖が、私にはあった。
嫌われないように、と動いて、それによってどんどんスピーカーが暴走して、相手が私に対して冷たい目を向ける人として変容しているように見えただけなのかもしれない。
ほら、あの人はお前にいい顔をしていない。
もっと頑張れ。もっと役に立て。
頑張れなくなったらおしまいだぞ。
見捨てられるぞ。やれ。
ほーら、見捨てられただろ。やれなかったお前が悪い。
この声が大きくなりすぎて狂いそうになった時、その人から離れるという現実を引き起こしていることに気づいた。
私自身が嫌われたと思ってた。
でも本当は、ただ、スピーカーに乗っ取られていただけ。
だから、あとは、それを辞めるだけだった。
復縁ができない人も、欲しいものが手に入らない人も、多分皆持っているスピーカーが理由では?
クライアントさまとお話している中で、多分、皆が皆スピーカーをつけていると感じる。
ジャンルは人それぞれ。どんな声が聞こえるかも人それぞれ。
でも、対策は皆同じ。
スピーカーの声に従わない。
ただ、それだけ。
コツコツやっていくしかないのだけど、やっていけば必ず変わる。
絶望から這い上がって得た、大きな発見だったから、もっともっと広げていきたい。