叔母と祖母。そして、私。精神的奴隷からの解放。
祖母の誕生日祝いのために、叔母の家にお邪魔した時の出来事です。
これから綴ることは、なんてことない、親子のやりとりかもしれません。
ですが、私、叔母、祖母の関係は、それをなんてことないと捉えられるほど、良好と言えるものではありませんでした。
両親の他界。1人になった私は叔母の元で奴隷になる。
まずは、私と叔母。
あえて過激なタイトルをつけました。
でも、当時の心情としては「何で私はこんなにこの人に支配されなきゃいけないんだ」と思いながら生きていたので、精神的に”奴隷”だったのです。
大学1年の時に母が他界し、未成年にして1人になった私は、母の遺言の元、叔母に引き取られました。(実は養子縁組もしています)
私が幼い頃はすこぶる仲が良かったわけでもなかったのですが、母が叔母を選んだのですよね。(ここの姉妹の関係性もなかなかに複雑なのですが…)
叔母は私のことを”弱き者”として見ていました。
今、高い視点で見たら、叔母なりの精一杯の愛情だったのでしょうが、大学生の私にとっては枷でした。
門限がある。出かける時は誰と一緒にどこに行って何時に帰るかを事前に申告する。スピリチュアルや自己啓発に関与する何かを見つける度に正座させられて説教。それ以外にも、さすがにそれはやりすぎでは?!という扱いをたくさん受けてきました。
それは、お付き合いをしていた彼(復縁した彼)や周りの友人から、「異常だ」と言われるほど、過保護も過保護でした。
私には同い年と3つ下のいとこがいるのですが、2人には上の制限は一切ありませんでした。
意味不明な現実に、「何で私だけ!?」と怒りまみれだった大学生時代。
もちろん、私は、叔母のことを”支配する人”として見ていました。
大学を卒業したら、絶縁すると決めていたくらいです。
学生時代は何度も「絶縁したい」と言い続けていました。
私が腹を決める度に、叔母の過干渉が減っていった。
叔母を好き~♡となることはありませんが、今となっては、私の変化の指標として、叔母の登場がわかりやすいなぁと思い、こっそり使わせてもらっています。
叔母の支配下にいる時の私は、無意識に「私は1人で人生の決定をしてはいけない、立場が上の人の意見を取り入れないといけない」と思い込んでいました。
(ここの思い込みも、幼い頃から創り出してきたのですが、キリがないので割愛で)
立場が上の人の最高ランクにいたのが、母から私の人生を任された叔母でした。
なので、常に叔母のご機嫌を伺いながら過ごしていたのです。
誰にも、特に叔母に支配されずに自分の願いを放つことが、1番やりたくて、1番怖いことでした。
支配されたくないのに、支配されていた方が安全。怖くない。そんなあべこべな内面を現実に映し出していたのです。
ですが、1番大事な自分の心を優先して、それを叶えると腹を決めた私は、できる範囲から「誰の目も通さず、自分で決める」を始めていきました。
洋服選び、お昼ご飯選びといった小さなところから、研究室選び、就職先選びと人生に影響を及ぼす大きなところまで。階段を1段ずつ1段ずつ上がっていきました。
新卒で入った職場を退職をした時が1番怖かったです。
なぜなら「自分で選んで入ったところにほとんど居なかった」=失敗=ダメ人間=保護下に入れなきゃいけない、ととられると思っていたからです。
でも、「叔母にどう思われてもいい、退職をする」と決めたのも、自分でした。
不思議なことに、私が自分で決定権を持つと決めたことが増える度に、叔母からの干渉が減っていきました。
薬剤師を辞めて独立すると決めた時もそう。
せっかく取った資格を活かさず、安定した職を手放し、フリーになると決めた私を、責めたり心配したりするどころか、「彩夏さんが決めたことなんだから、いいじゃない」と言ってくれたのです。
私が人生の決定権をどれだけ自分の手元に置いているかで、叔母の出方がするすると変わっていきました。
私が支配から抜けたあと、次にそこに収まったのは祖母だった。
私が支配から抜けた頃に、1人暮らしをしていた祖母が骨折をしてしまい、もう1人では暮らせないということで、叔母の家に引き取られました。
祖母からしたら自由を奪われた。叔母からしたら面倒が増えた。
お互いにそんな風に思っていたように見えました。
私には「本当は〇〇したい」と言うけれど、色々押し付けてくる叔母にはそれを言えず、察せよオーラを出す祖母。
要望を口で伝えず、拗ねるだけの祖母を前に、何とか祖母の役に立とうと(変な方向で)頑張る叔母。
2人揃って苦しそうだなぁ、と外から見ていましたし、両方から互いの愚痴を聞かされる私としては、「うーん、どっちもどっち」と思っていました。
私にはオーダーがある。2人にオーダーを出して、あとは放置すると決めた。
相手の本来の姿を見抜いて、そこに向かうようにオーダーを出せるようになると、自分だけでなく、周りも一緒に幸せの渦に引っ張っていくことができるようになります。
私はそれぞれにオーダーを出しました。
「祖母が自分の要望をきちんと伝えられるようになる、それが叔母にとって貢献であることを知る」
「叔母はマウントを取らずとも、自分が必要とされていることを知る」
このオーダーを出したのが、退職を決めたちょうど1年前でした。それまでは出したいとすら思えなかったのです。
敵対していた2人が誕生日ケーキを前に、笑顔でツーショットを撮るようになるなんてね。
ここでやっと、久しぶりに叔母の家にお邪魔して、祖母の誕生日祝いをしてきたときの話に戻ります。
まず、家に入った時の空気感から違う!なんか和やかなんだけど、どうしたの?いつもなら家に入ったら呼吸がしにくくなるのに、今日はならないのはなんで?
内心慌てふためく私を他所に、穏やかな空気感で会話をする2人。
度々、祖母が叔母に「私は〇〇が食べたい。△△が取れないから取ってきてほしい」とお願いをして、叔母がさっとそれを実行に移すという光景が現れて、「待って、この人たち誰?」と更に慌てる私。
私が完全にやられたのが、誕生日ケーキが出てきた時に、嬉しそうに祖母とケーキの写真を撮る叔母と、「〇〇さん(叔母)と一緒に写真を撮りたい」と言った祖母のやりとりでした。
2人がはにかんだ笑顔で叔父が向けるカメラのレンズを見ていた光景と、その時に私の中に浮かんだ感情は、きっと忘れられないと思います。
互いを上下関係に置かず、精神的に対等になった2人を見て、人って変わるんだなぁ、と涙を堪えるのに必死でした。
私、叔母、祖母。
全員が精神的に対等になった日でした。
それぞれのらしさを発揮するこれからが楽しみになった。
長くなりましたが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
私は叔母が大嫌いでした。一生好きになることなんてないと思っていました。
そんな私が叔母にオーダーを出すことができて、それが完了した瞬間を目の当たりにしました。
祖母も一生叔母の言いなりになるのかな、と思っていました。
でも、色々諦めていた祖母が言いたいことを言えるようになっていました。
それを叶えてもらえることに許可を下ろせていました。
叔母はきっと「役に立てない自分」を見たくなかったのだと思います。
それ故に、マウントを取っていたのでしょう。
でも、私や祖母、そして他の人たちを支配下に置かずとも、自分には存在意義があると気づいたのだと思います。
人は変わります。
オーダーを出すことができるあなたならば、大切にしたい人を本来の姿に戻るためのお手伝いができるようになるはずです。
手を下さずとも、オーダーは必ず叶う。
これからも体現していきます。